ヒューマンエラー 第39話

<安全教育用推理小説>

これで、労災の話は終りとなる。

しかし、この一年前の労災は先週の大事故の前触れであった。

挿絵制作:アイデアファクトリー株式会社

連日の報道でご存じの通り、本線高所からのジェット車体落下によって、無数の死傷者が出た。私は、さらに膨大なページを割き、この大事故について見解を語るべきか?・・・

いや、その必要はなかろう。

新聞各紙の第一面。テレビのニュース。追跡特番。週刊誌の大特集。この瞬間もさかんに行なわれているであろうネットへの書き込みなど。すでに会社を去った私だ。やはりこれらのメディアに任せておこう。

でも、私は、心の奥底に錨で沈めておいた労働災害の経緯を辛抱強く聞いて下さった皆さんに、とても感謝している。だから最後に、昨晩我が家で語られた話を紹介し、お礼に換えさせて頂きたい。現時点ではまだ機密扱いの情報も含まれているだろうが、いずれ裁判を通じて公《おおやけ》になることだし、ましてや皆さんに限り話すぶんには問題ないと思う。

昨晩、我が家の晩餐に、叔父が招かれた。

叔父は到着一番、バトル遊園の大事故に、少しだけ触れた。というのも、叔父が在籍する警察署の所管地域内だったからである。

専門分野とは異なるが、あまりにも大規模な事故のため、叔父まで応援に駆り出された。「テロの対象となったのでは?・・・」との噂も広がり、自治体の長が捜査強化を命じたことも、応援者増員の理由だそうだ。たしかに、私が働いていた頃から、反グローバリズム系の過激派組織が、バトル遊園までをも攻撃対象のリストに入れ、マスコミへ送り付けていた。が、テロの噂は単なるデマであろう。

珍しく、叔父は晩酌をビールだけに止めた。父も、ふだん通りビールしか飲まなかったが、さっそくソファにもたれかかってこっくりし始めた。

デザートも終え、アイスコーヒーをホットコーヒーへ切り替えた叔父は、食前に少しだけ話題にした事故の話を、本格的に持ち出してきた。おそらく叔父は、一年前の労災の裏情報を訊いてみたかったのであろう。

思えばA子さんの労災の時、叔父から色々と教えてもらう一方で終わり、結果報告はしないままだった。叔父とは何度も顔を合わせていたが、何もなかったかのような叔父の素振りに、「不義理かも・・・」という懸念すら起きなかった。

いずれにしても、現在、捜査をしている叔父にしてみれば、例の「藪をつつく」という方法を、私を「藪」に見立てて実行しているのかもしれない。

だが、今度の大事故を調査しているわけではない私には、どの事項が「思わぬ蛇」に該当するのか、見当つかない。そのため私は、当時再チェックするために持ち帰ったままのA子さんの労災資料を全て叔父に見せてしまったほうが手っ取り早いと考え、資料を押し入れから取り出し、ソファテーブルに広げた。

その資料を叔父と一緒に見ながら、私は、労基署の担当官へ説明した時と同じように詳細な説明をした。母も、台所と行き来しながら聞いていたが、DVD映像を再生した時には、テレビの前にきちんと座って真剣な顔つきで観た。

「ありがとう、アッちゃん。あくまで間接的にだが、とても参考になる事、いや、それどころか重大な側面が沢山あったよ。で、労働基準監督署の担当官、名前、覚えているかい?」

フルネームで覚えていた私は、それを伝えた。

「うむ。あの人だな。よし、明日一番で、打ち合わせをしてみよう」

ともかく報道の通り、乗客のみならず従業員からも被災者が出た。労働基準監督署も立ち入りをしている。そこで、作業効率をあげるためにも、警察との合同捜査体制を作ったらしい。車輪が外れて落下した後、プラットホーム上を転がっていったジェットが、待ち列の人たちを従業員とともになぎ倒した事故ならば、労災にしても業務上過失にしても、原因は同じとなる。人事異動で他の地域や別の部署へ移っていない限り、あの担当官が加わっていて当然だ。

従業員の死者は1名であった。

もちろんテレビは、その名前も連呼したはず。私はあまりにも恐ろしくて、聞くまい・知るまいとしてきた。しかし、結局、叔父とのやりとりの中、認識せざるをえない結果となった。

激しいショックが襲った。従業員の死者は、一年前の調査の際に協力を惜しまなかったあのチーフだった。残る無数の被災者は、皆、入園者。顔も見たことがない人たち。だが、颯爽《さっそう》としたチーフの後ろ姿は、今朝見たばかりのように蘇った。

叔父は私の心情を察知したのであろう。被災者の痛ましさが想起されるような口調、表現は、極力避けながら、意見交換を持ちかけた。

あの労災のあと、再び単調な事務に戻ってしまった私は、すぐ別の会社へと転職した。しかしそれでも物足りず、今は、危機管理のスペシャリストを目指して勉強中である。そのことは知っていた叔父であったし、「いずれ俺が退職して探偵事務所でも始めたら手伝ってくれよ」と冗談めかす叔父でもあったから、私は意見交換に応じた。

しかし、チーフが死んでしまったことを考えまいとする必死の努力が、私の態度を、意見交換に臨むというより議論に臨むといったほうが合っているほど、厳しいものにさせた。母は目を丸くして、終始見守った。

「結局、労災にせよ業務上過失致死にせよ、すべては一点に集中する・・・」

「ええ。私もそう思います」

「ま、今の時点じゃ、あくまでも想像による仮説でしかないが。今後の捜査で証明してみせるさ」

ひとしきり議論を終えた叔父と私はコーヒーで息をついだ。が、母が首をかしげているのを見た叔父は、復習も兼ねるようにして、再び語り出した。

それは、非常停止ボタンのことだった。労基署の担当官が、一年前の締めくくりで強調し、社内的にも施設管理部長がその機能を発揮させるべきと主張してやまなかった、全域停止をするためのあの赤い半透明のボタンである。

一年前に予兆はあったのだ。なのに、結局、あのボタンは押されることが無いまま、終わってしまったのだ。

バトルジェットの巨大構造を支える基礎フロアー。その調査は昨日済んだが、警察に届いた内部告発文書も指摘していた通り、そこには車体の部品が散乱していた。が、今回の大事故で飛び散った物は僅かで、開業当初から抜け落ち続けてきたとしか考えられない部品が多くあった。その中には、車輪のシャフトを固定するためのボルトらしき部品もあったようだ。

告発文書は、記述の正確さから、明らかに保全課員によると思われるが、まだ誰が告発したのかは不明である。

過酷な深夜労働で不満が積もり、意図的な手抜きで事故を引き起こし、内部告発のふりをした・・・ と勘ぐることもできる。しかし、不満を持っていることは事実でも、そこまでひどい仕返しはしないのでは?・・・ いや、していないと願いたい。しかし、部品が落ちていることを知っていながらその問題を放置してきたのだから、内部告発をした保全課員は少なくとも安全管理上、重大なサボタージュをしたことになる。警察としてはその線も当然追及することになろう。

では、一年前の予兆とは?・・・

それは鼻から血を出した乗客だ。眼鏡の鼻あてが取れ怪我をしたという本人の説明だったが、いくら鼻の皮膚が薄いとは、それはありえまい。眼鏡だって、充分な安全性を考慮して設計されている。おそらく車体から外れた部品が落下し、その乗客の鼻の辺りをかすめたのであろう。鼻あてが取れた原因も、高速でスピンする落下部品との衝突かもしれない。その部品が、車輪のシャフトを固定するボルトであった可能性も十分ある。この場合、眼鏡は、むしろプロテクターの役割を果たしたことになる。

この想像は、叔父と私で完全に一致した。とはいえ、今となってはその乗客の傷口も眼鏡の状態も調べることもできず、実証することはできない。

どんな予兆でも感知しようとさえ思えば感知できるはず。そして、かまわず非常ボタンを押す。そうしていれば、一年前の労災も、先週の大事故もなくて済んだはず。私は、かたく、そう信じる。

だが、100パーセント民営のレジャービジネス。稼げる時にはしっかり稼いでおく必要がある。

また、人気ライドが止まったらお客様が騒ぎ出し、園内が混乱すること間違いなし、ネットで批判させること間違いなし。せめてマスコミが、安全を期して運営を停止するという英断を高く評価してくれればいいが、期待できないどころか、逆に大衆に迎合して批判的報道をするだろう。

止めたら止めたで批判される。

止めないで事故を起こしたら、なぜ止めなかったのだと非難される・・・

こうしたプレッシャーは、なにもバトル遊園のような娯楽産業にとっての課題ではない。電力や旅客運輸など社会の基盤となる産業にとっては、娯楽産業とは比べものにならないほど大きな課題となっていることだろう。

が、いずれにしても、バトルジェットの非常ボタンを預かるのも、お客様を避難誘導するのも、少数の臨時職員と多数のパートタイマー。その責任は極めて大きいにもかかわらず権限は低い。だから、彼らは会社の意向におとなしく従い、なるべく止めずに運行しようとする。

では、現場に、決断力がある正社員だけを配置すればよいのだろうか? いや、そうしたら人件費が膨大になる。

では、入園料を上げて膨大な人件費をカバーすればよいのか? いや、そうすれば「高すぎる!」ということで客足が遠のき、経営が成り立たない。

悲しいかな、この意味では、起こるべくして起きた事故とも言える。

しかし、だからこそ、経営者はその責任と権限によって、世間の重圧と戦ってでも、事故の連鎖に楔を打ち込まなければならない。バトル遊園の経営陣は、この戦いを放棄したのである。

「基礎フロアーに落下した部品が放置されていた事実、世間の人たちには、とても信じられないだろうね・・・」

「ええ。たまには清掃するだろう、と思って自然でしょうからね・・・」

「しかし、保全課員にしてみれば、そこまで手がまわらない。ま、乱暴な言い方をすれば、誰の目にもつかない基礎フロアーなんて、個建て住宅の床下みたいなものだからね」

「そうですね・・・」

叔父と私は、玄関の前に出ても、しばらく意見を交わした。

「じゃ、これ、借りていくね」

叔父は資料が入った封筒を鞄に入れ、まだ熱風にも近い夜風の中を歩いて帰った。


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