<安全教育用推理小説>
「うーむ・・・ A子さんが止めようとしたジェット。それが、車庫内に入ってきた理由。やはり、この理由をつかまない限り、その先は見えてこないね」
私の再度の説明を受けて、叔父は言った。
「はい。私も、そう思います」
「運営中にジェットを引き込むのは、腰抜けジェットが発生した場合、そして車体に不具合が発生した場合だね?」
「はい。あと、今、思い出したのですが、それ以外にも、引き込む場合があるそうです」
「どんな場合かい?」
「ジェットの稼動台数を減らす場合と、ジェットを交替させる場合です」
「交替させるというと?」
「長時間稼動し続けているジェットを休ませるため、収納したままのジェットと交替させることもあるようです」※1
「一台引き込んで、別の一台を本線に繰り出すというわけか・・・」
「はい」
「だが、どのジェットが長時間稼動しているのか、どうやって把握するのかな? 運行をモニターするコンピュータがあるということは、それぞれのジェットにアイデンティティーを焼き込んだICチップでも取り付けてあるのかな?」
「どうなのでしょう。分かりません」
「もし、チップを取り付けてあるならば、A子さんを轢いたジェットの番号のみならず、轢かれた時刻も、詳細に記録されているかもしれんね。もっとも、コンピュータに、すべてのジェットの運行記録を残すようになっていればの話だが・・・」
「そうですね。明日、訊いてみなくちゃ・・・」私はメモ帳に書き留めた。
「ま、とにかく、予備のジェットも含め、総台数は結構多いということなんだね」
「はい。今日も、車庫には何台もジェットが置いてありました。収納区画にも、メンテナンスピットにも・・・」
「本線を走行していたジェットは何台だったのか、聞いたかい?」
「事故の時に走行していたジェットのことですか?」
「ああ。それは是非、正確に掴んでおきたいところだね」
「さっそく明日一番で聞いてみます」
「何台まで同時稼動が可能か、理論値のほうは分かるかい?」
「ええ。それはマニュアルに書いてありました。最多で10台、運行させていいことになっています」
「10台! ほう、たくさん可能なんだねえ。まあ、追突防止の全域ブレーキシステムがあるから、そいつを当てにして沢山のジェットを同時運行させているんだろうな」
「そうでしょうねえ」
「そのブレーキは、軌道側に付いているのかい?」
「えーと、ブレーキの構造は・・・」
私はテーブルに広げた図表類の中から、車体の断面図と、レールの断面図を探し出した。
「なるほど。車体の下に、アイススケートのフィンみたいなものが取り付けてあるのか。このフィンをレール側に設置してあるブレーキ装置が圧縮空気の力で挟み込むわけだな」
「そうですね・・・」
「いわば直線型のディスクブレーキというわけだ。車体側にブレーキを付けてそこへ大きな電力を送り込むことは危険だから、当然と言えば当然だが。ま、よくできているもんだな」叔父は、ブレーキ以外の図面や仕様書にも目を通し、ハードウエアの仕組みに感心した。※2
「二重、三重もの安全設計となっているし・・・ 機械のほうは完璧なわけだ。コース本線で事故が起きるならば、わざと事故を起こそうする誰かの悪意か、何かの手違いか、それともヒューマンエラーか・・・ いずれにしても人的要因というわけか」
ヒューマンエラー・・・
人間の能力は完璧ではない。確率の大小はさておき、危ないと分かっていても、つい、うっかりミスを犯すことがある。こうしたうっかりミスをヒューマンエラーといい、それを100パーセント排除することは不可能、という大前提に立って、安全対策を構築しなければならない・・・※3
ヒューマンエラーについての考え方は軽度の労災にも適用されるので、カフェチェーン事業部にいた頃から私は知っていた。ともかく、人間誰しもヒューマンエラーを起こす可能性を持っている。
では、A子さんの労災も、彼女のヒューマンエラーと言えるのだろうか?
「危ないと分かっていても、うっかり犯してしまうミス」という定義を前提に、答えは「否」となる。なぜならば、今回の場合、A子さんは、ジェットを前から止めることの危険性を、まだ教えてもらっていなかったからだ。定義文中の「危ないと分かっていても」という要件を満たさない。また、「うっかり」という言葉も、あらかじめ「それはしてはならない」との認識があった場合に、適用される言葉だ。危ないと知らなかった以上、そのことをしてはならないとの認識もなく、「うっかり」とは言えない。
ただし、たとえ学生であろうとパートタイマーであろうと、給料をもらって働く以上、基本的な能力として、危険に対する予知能力が求められる。ジェットを前から止めることの危険性をまだ教えてもらっていなかったにしても、A子さんの危険予知能力は低い、と言える。※3
だが、彼女の危険予知能力はもともと低かったのだろうか? 何か外的な要因が、彼女が本来持っていた危険予知能力を一時的に鈍らせてしまったのかもしれない。この辺りの解明も、当然、私のミッションとなる。
「さて、A子さんが轢かれたジェットだが・・・」
「昨日は、年間で最も沢山の乗客をこなす必要があったから、『稼動台数を減らすために引き込まれたジェット』ではなかったんでしょうねえ・・・」
「そうだろうな。だから、実際には、
『腰抜けジェット』
『不具合ジェット』
『稼動時間が長いので交替させることになった空のジェット』
のいずれかだろう。ま、明日一番でこれを掴みなさい」
「はい」
「が、あくまで勘だが、A子さんが轢かれたのは『腰抜けジェット』じゃなかろうか・・・ 空のジェットでも十分重いのかもしれないが、A子さんの安全靴が潰されたことを考慮すれば、人が乗っていてさらに重たくなったジェットに轢かれた可能性が高いからね」
「たしかにそうですね。たいていの人は友達や家族と一緒に遊んでいて、誰かの腰が抜けたならば、その人を置き去りにせず、付き添ってあげることでしょうから・・・」
「そうだろうね。腰抜けジェットでは、少なくとも、空のジェットに比べ、二人以上の体重が加わるというわけだ」
「ええ・・・」
「ところで、1台のジェットに全部で何人乗ることができるかといえば・・・」
「一列2人がけで一両4列、計8人。二両編成だから、合計16人です」
「一人平均の体重が50キログラムだとしても、800キログラム。満杯の場合には、車体を含めて1トンを超えるわけだな」
「そうですねえ・・・ 大変な重量になりますねえ」
「ま、いずれにしても、どのジェットに轢かれたのか、特定しなくてはね」
「はい。明日一番で確認します」
「あと、それが確認できたなら、倉庫へ引き込みの際の連携が、実際にはどのように行なわれたのか、各ポジションへ訊き回ったほうがいいね」
「ええ、そうですね。やってみます!」
深夜が近づいた。色々と教えてくれた叔父が帰宅することになった。母は泊まっていくことを勧めかけたが、明日からの海外出張のことを思い出したのか、撤回した。
「じゃ、アッちゃん、大変だろうけど、がんばって。もし、帰国後にでも引き続き相談したければ、遠慮せずにね。もっとも、労災に関する権限は労基署にあるから、こっそりとね・・・」
「はい。がんばります! 叔父さんも、出張、気をつけて」
「おう。俺もがんばってくるさ。それじゃ・・・」と言ってから叔父は玄関へ行き、その段差に腰掛け靴を履き始めた。が、途中でその手を止めた。
「おっと、いけない、いけない。一つ、伝え忘れた」
「あ、是非、教えて下さい!」叔父のどんな一言でも大変勉強になると感激していた私は、大きな声で答えた。
「藪を突っついてごらん。意外な蛇が飛び出すかもしれんよ」※4
「えっ?」
「ははは。ご免。これじゃあ、アッちゃんには分からんよね。これは叔父さんたちの世界の隠語さ。たとえば、自分の地位を自慢したがっている組織幹部とか、噂好きの社員とか・・・ そうした連中に、真面目くさったり、雑談めかしたりして、何か適当に尋ねてみるのさ。事件や事故に直接関係なくても、遠くから影響を与えているような要因や背景について、思わぬ情報が飛び出てくるかもしれんよ。もちろんガセネタの可能性もあるから、その辺はちゃんと検証する必要があるけどね。調査の合間で充分だから、息抜きのつもりでやってごらん」
「は、はい・・・」
叔父が言わんとすることはなんとなく理解できたが、残り二日の間に、そんなヒマはないだろうと思った私は、すっきりしない返事をした。そうした私の反応を見て、叔父は不愉快な顔をするどころか、ニヤリと笑ってウインクをした。
※1:どんなに堅牢な機器・設備とはいえ疲弊するので、適切な処置である。
※2:遊園地といえども、その道一流の技術者が設計しているため、安全管理の機械的仕組みは万全である。叔父さんが感心するのは当然だ。
※3:危険予知能力は、訓練によって高めることができる。ところが、会社は、バトル遊園のみならず、全事業部にて、危険予知能力を見つける訓練、いわゆるKYTをしていなかった。一方、お客様に対して古代アジアの宮廷の召使いや奴隷のようにペコペコ頭を下げる教育訓練への力の入れている。これでは、会社は安全教育をサボタージュしていたと非難されても仕方ない。
※4:“藪蛇”の諺を、叔父さん流にアレンジしたもの。