<安全教育用推理小説>
U子と別れたあと、私はいったんオフィスへ戻ることにした。K君の解説によって更新された知識のもと、マニュアルに再度目を通してみたようと思ったからである。
バックヤードを一周した上で本部ビルへ向かう従業員用の巡回バスが、食堂のある棟の前へ、ちょうど到着した。おかげで、今日も続く炎天、その下を歩かなくても済んだ。
再び小会議室へ入った。すると、五分もしないうちにノックがした。課長が病院から戻ってきたのである。
外科医の先生はさっそく各方面へ連絡を取り、日曜日に移送の上、火曜日に緊急手術ができるよう手配してくれたそうだ。
課長は手術の具体的な方法に関しても、先生から聞いた通り説明してくれたが、痛ましくて耳を素通りさせた。いずれにしても、剥がれてしまった腱を骨部に再定着させるのが目的なことには違いない。
「とにかく、あの先生の担当日で、本当に良かった。もしそうでなかったら、A子さんの右足は一生ぶらりんと・・・」
私は顔を一層歪めた。課長はようやく気づき、痛ましい話を止めた。
「で、アッちゃんのほうはどう?」
私は、自分自身の理解を深めるためにも、詳細に更新情報を伝えた。管制情報室でK君から教わった、運行管理コンピュータの働きについても説明した。
「よくできているねえ。改めて感心しちゃうね。植栽管理課の時、水撒きのスプリンクラーの制御とかの件で管制情報室へ入れてもらったとき見学したけど・・・ さすが、バトルジェットのコンピュータについては解説を受けなかったからな」
「そうしでしたか・・・」
「あ、そう言えば、全域停止ブレーキは本線だけに設置されているということだけど、まさか全線びっしり設置されているわけじゃないよね?」
「ええ。それでは大変なコストになるでしょうから。このページを見れば、そのあたり分かりますよ」
私は課長にマニュアルの該当ページを開けて示した。
「設定した各区間の一番最初の部分。なるほど。そこでブレーキが掛かれば、追突防止できるものね。あれ? でも、昇り下りがうねうねと何度も繰り返されるのだから、えーと、あーと・・・」
区間は、すべて同一の距離で設定されているのではない。個々の区間の特性に合わせて設定されている。このことをまだ説明していなかったので、補足した。
「ふむ。たとえば第26区間の最終待機区画と第1区間にあたるリフトじゃ、そもそも特性が全く異なるものな。距離が違って当然というわけか。だんだんと分かってきたぞう!・・・ あ、でも、これ、今回の労災に関係のないことか・・・」
「そうですねえ・・・ 車庫内にはブレーキ装置がないし、運行管理コンピュータも関与していないし。監視カメラさえないのですから」
「うーむ、そうだったねえ・・・ 本線の運行システムを理解したところで、しょせん、車庫内で発生した労災の解明には役立たないということか」 ※1
「でも、おじ・・・」
「え?」
「いいえ、なんでもありません」
でも、直接関係のない情報であっても集めておくように、と叔父がアドバイスしていたことを思い出し、危くそのことを口にしてしまいそうになったが、かろうじて止めた。
「それにしてもなあ。車庫内だって、監視カメラが設置してあってもいいだろうに。そうなっていれば、今回の事故だって、記録に残っていただろうし」
「そうですねえ」
「ま、会社としては経費がかかって嫌だろうが・・・」
「ええ。それに、車庫内はそもそもスピードは出ないし。高所を走行しているわけでもないので、落下や転落の危険もなし。だからモニターは不要。設計段階からの判断だそうです」
「ジェット運営中は『乗客の安全に集中しろ!』ということか・・・※2 ま、その点、ハードのシステムがよくできているから、安心だね。だから、我々としても、労災のことに専念するとして・・・ おっ、アッちゃんの携帯だね」
課長の話の途中で、マナーモードを解除し忘れてあった携帯のバイブレーションが振動した。マネージャーからだった。労災発生時点での各ポジション、まずは三人、インタビューできるようセットアップしたとの知らせだった。昼食はまだの課長だったが、一緒に例の車庫内テーブルへ行くこととなった。
※1:たしかに、今回の労災は、あくまで、車庫内で発生したのだが・・・。
※2:人の命を預かる以上、当然のことだ。